こんにちは、みどりです。 私は50代で、大阪でフルタイム勤務をしながら、義母の介護に関わってきました。
今日は、義母を施設に入れると決断するまでのことを書いてみようと思います。 介護の話の中でも、ここは今でも少し胸がつまるところです。 「あの時、もっと早く動いていれば」と思う気持ちと、「でも、あの時はあれが精一杯だった」と思う気持ちが、今でも両方あります。
きれいに整理できる話ではありません。 でも、だからこそ、同じように迷っている方にとって少しでも参考になればと思って、正直に書いてみます。
8月頃、義母のすり足を見て不安になりました
義母の様子で、これは少し心配だなと強く感じたのは、8月頃でした。 歩き方が、はっきりと変わっていたんです。 足がきちんと上がっておらず、すり足のようになっていました。
その場で大きく転ぶわけではない。 でも、見ていて「危ないな」と感じる歩き方でした。 ちょっとした段差、カーペットの端、トイレの入り口。そういう日常の小さなところで、いつ転んでもおかしくないように見えました。
私はその時、かなり不安になっていました。 高齢になると、転倒はただの転倒では済まないことがあります。 一度の転倒が、その後の生活を大きく変えてしまうこともある。そういう話は何度も聞いていましたし、頭ではわかっていました。
だから、義母のすり足を見た時、私は「そろそろ在宅だけでは厳しいのではないか」と感じ始めていました。 ただ、その時点では、それをはっきり口に出すことにもためらいがありました。
「行けるところまで自宅で」という義姉の考えとの間で揺れました
義母のことを考える時、家族の意見がきれいに一つだったわけではありませんでした。 東京に住む夫の姉、つまり義姉は、「行けるところまで自宅で過ごさせてあげたい。どうしようもなくなったら、その時に施設を考えればいい」という考えでした。
その気持ちも、私はよくわかりました。 住み慣れた家で過ごしたいというのは、ご本人にとっても自然なことですし、家族としても、できることならそうしてあげたいと思うものです。 施設に入るというのは、やはり大きな決断です。
ただ、私は大阪で義母の様子を実際に見ていました。 すり足になっていることも、立ち上がりが少しずつしんどそうになっていることも、日々の変化として感じていました。 だからこそ、「どうしようもなくなってから」では遅いのではないか、という思いもありました。
このズレが、当時の私にはかなり重たかったです。 義姉の言うことが間違っているとは思えない。 でも、現場で見ている自分の不安も消えない。 その間で、私はずっと揺れていました。
今振り返っても、あの時は誰が悪いという話ではなかったと思います。 家族それぞれに義母を思う気持ちがあって、ただ見えている景色が少し違っていたのだと思います。
介護の判断で家族の意見が割れることは、決して珍しくありません。遠くに住んでいると見えにくいことがある。近くにいると不安が大きくなりすぎることもある。どちらも義母のことを思っているからこそのすれ違いでした。
デイサービスと訪問ヘルパーで、何とか在宅を続けていました
そういう中で、私たちはすぐに施設へ、とはならず、まずは在宅でできることを続けていきました。 デイサービスを利用し、訪問ヘルパーさんにも入っていただいて、何とか義母の一人暮らしを支える形です。
当時は、それが現実的な落としどころのようにも思えました。 いきなり施設を決めるのではなく、使えるサービスを使いながら様子を見る。 家族としても、「まだ家でいけるかもしれない」という気持ちがどこかにありました。
実際、デイサービスやヘルパーさんには本当に助けていただきました。 家族だけでは到底見きれない部分を、たくさん支えてもらっていたと思います。 義母が在宅生活を続けられていたのは、そうした支えがあったからです。
ただ、その一方で、私はずっと心のどこかで緊張していました。 ヘルパーさんがいない時間、夜間、一人になっている時。 その時間帯に何かあったらどうしよう、という不安は消えませんでした。
11月末、義母はトイレで転倒し、6時間倒れたままになっていました
そして、その年の11月末、心配していたことが現実になりました。 義母がトイレで転倒したのです。
義母はいつも朝5時頃には起きる人でした。 その日もおそらく、早朝にトイレへ向かって、そこで倒れたのだと思います。 連絡が入ったのは、ヘルパーさんが訪問した際に「応答がない」という一報でした。
夫がマンションに駆けつけたのは、11時頃のことでした。 つまり、義母はトイレで、おそらく6時間近く倒れたまま一人でいたことになります。
そのことを思うと、今でも胸が痛いです。 誰にも気づかれずに、あの狭いトイレの中で、6時間。 見守りサービスも入れていましたが、それでも間に合わなかった。 「あの時間、義母は何を感じていたのだろう」と、今でも時々考えます。
転倒はいつか起きるかもしれないと不安に思っていたのに、実際にそれが起きると、やはり衝撃は大きかったです。 「もうこのまま在宅を続けるのは難しいのではないか」という気持ちが、あの日はっきり形になりました。
転倒をきっかけに、ようやく施設を本気で考え始めました
今思えば、施設のことはそれ以前から頭にはありました。 でも、どこかでまだ先送りしていたのだと思います。 家族の意見も揺れていましたし、在宅サービスを使えばまだいけるかもしれない、という気持ちもありました。
それが、転倒をきっかけに一気に現実になりました。 これ以上「様子を見る」だけではだめだ、と感じたのです。 本人の安全を考えるなら、住まいそのものを変えることも含めて、本気で考えなければいけない段階に来ていました。
そこからは、施設探しを本格的に進めることになりました。 簡単ではありませんでしたが、少なくとも「もう考えないふりはできない」とはっきりしたのは、あの転倒の後だったと思います。
今振り返って思うこと。後悔と、それでもあの時の自分に言いたいこと
今でも私は時々思います。 もっと早く施設を考えていれば、あの転倒は防げたのではないか。 もっと早く動いていれば、義母に6時間も一人でいる思いをさせずに済んだのではないか。 そういう後悔は、正直あります。
でも同時に、あの時の自分に対して、責める言葉だけを向けるのも違う気がしています。 あの頃の私は、仕事もしながら、家族の意見の違いの中で揺れながら、それでもデイサービスやヘルパーさんを入れて、できる限りのことをしていました。 決して何もしていなかったわけではありません。
だから今の私は、当時の自分にこう言いたいです。 「もっと早く動けたかもしれない、という気持ちは残るけれど、あの時はあれが精一杯だったよ」と。
まとめ
義母を施設に入れると決断するまで、私はずっと揺れていました。 8月頃にすり足を見て不安を感じ、家族の意見のズレに葛藤しながら、デイサービスと訪問ヘルパーで何とか在宅を続けました。 そして11月末、義母はトイレで転倒し、6時間近く一人で倒れたままになっていました。 その出来事が、施設を本格的に考えるきっかけになりました。
今も、「もっと早く動いていれば」という気持ちはあります。 でも同時に、「あの時はそれが精一杯だった」とも思っています。 この二つは、たぶんこれからも私の中に両方残るのだと思います。
もし今、同じように迷っている方がいたら、不安を感じた時点で、施設の情報だけでも少し集めてみてほしいです。 すぐに決める必要はなくても、知っておくことが、あとで自分を助けてくれることがあります。