こんにちは、みどりです。 私は50代で、大阪でフルタイム勤務をしながら、義母の介護に関わってきました。
今日は、義母が入居しているコクファンへ面会に行ったときに見かけた、ある光景のことを書いてみようと思います。 それは、元気な入居者さん同士が待ち合わせをして、一緒に外出していく場面でした。
ほんの短い瞬間だったのですが、私の中にはとても強く残りました。 そしてそのとき、「施設に入る」ということを、私は少し違う角度から見るようになった気がします。
面会に通ううちに、施設の"日常"が少しずつ見えてきました
施設というのは、入居前の見学だけではわからないことがたくさんあります。 部屋の広さや食堂の様子、スタッフさんの雰囲気は見えても、そこに流れている日常までは、なかなか見えません。
でも、面会に何度も行くようになると、少しずつ見えてくるものがあります。 朝と昼で空気が違ったり、曜日によって雰囲気が違ったり、入居者さんそれぞれの過ごし方があったり。 「ここで暮らす」ということが、だんだん立体的に感じられるようになるんです。
私も最初は、施設というと「介護を受ける場所」「安全に暮らす場所」という見方が強かったです。 もちろんそれは間違っていないのですが、面会を重ねるうちに、それだけではないのだなと思うようになりました。
入居者さん同士で話していたり、スタッフさんと笑っていたり、静かにテレビを見ていたり。 そういう何気ない場面を見ていると、施設もひとつの生活の場なんだなと感じます。
ある日、入居者さん同士が待ち合わせして外出するのを見かけました
その日も、私はいつものように義母の面会に行っていました。 すると、エントランスのあたりで、入居者さん同士が待ち合わせをしているような様子が目に入りました。
お一人が先に来ていて、もうお一人があとから来られて、自然に声をかけ合って、一緒に出ていかれたんです。 何か特別なイベントという感じではなく、本当に「じゃあ行きましょうか」というような、日常の外出に見えました。
その光景が、私には少し意外でした。 施設に入ると、みなさん施設の中でそれぞれ静かに過ごしている、というイメージがどこかにあったからです。 でも実際には、元気な方同士で約束をして、一緒に外出するような関係もあるのだと、そのとき初めてはっきり感じました。
なんだか、とてもいい光景でした。 「施設に入る=家の外とのつながりが減る」というふうに、私は無意識に思っていたのかもしれません。 でも、その場面はむしろ逆で、施設の中に人とのつながりができて、それが外へ広がっているように見えました。
見学のときには気づけなかった施設の「日常」が、面会を重ねるうちに見えてきます。こういう何気ない場面が、施設選びの判断材料になることもあるなと感じています。
施設の中にも、人間関係や楽しみがあるのだと気づきました
その場面を見て、私ははっとしました。 施設というのは、ただ生活を支えてもらう場所ではなく、そこに人間関係が生まれる場所でもあるのだ、と。
もちろん、すべての方がそういうふうに過ごされるわけではないと思います。 性格もありますし、体の状態もありますし、外出が好きな方もいれば、そうではない方もおられるでしょう。 でも少なくとも、そういう楽しみ方が実際にあるのだと知ったことは、私には大きかったです。
家に一人でいると、人と会うきっかけはどうしても限られます。 デイサービスのように通う場があっても、終わればまた自宅に戻ります。 それに比べると、施設の中で日常的に顔を合わせる人がいて、そこから自然に関係ができていくのは、ひとつの暮らしの広がりなのかもしれないと思いました。
義母は車椅子なので、そういう外出は難しいのが現実です
一方で、その光景を見ながら、義母のことも思いました。 義母は今、車椅子での生活です。 一人でふらっと外に出ることもできませんし、入居者さん同士で約束して出かける、というのも現実的には難しいです。
もちろん、今の義母には今の暮らし方がありますし、施設の中で落ち着いて過ごせていること自体はありがたいです。 ただ、それでもあの場面を見たとき、少しだけ思ってしまったんです。
もっと早く施設に入っていれば、義母にもああいう時間があったのかもしれないな、と。
もう少し体が動けていた頃、もう少し自分で歩けていた頃。 その時期に施設に入っていれば、施設の中で誰かと親しくなったり、一緒に何かを楽しんだり、そういう時間が持てたのではないか。 そんなことを、ふと考えました。
家族はどうしても「施設に入れること」に抵抗を感じます
施設に入ることに、抵抗感や罪悪感を持つご家族は多いと思います。 私自身もそうでした。 「できれば家で」「まだ早いのでは」「施設に入れるのはかわいそうではないか」――そういう気持ちは、やはりありました。
でも今は、施設に入ることは、単に"家を離れること"ではないのだと思うようになりました。 もちろん失うものもあるかもしれません。 けれど同時に、施設だからこそ得られるつながりや、暮らしの広がりもあるのだと感じています。
あの日見た、入居者さん同士の外出は、まさにそれを見せてくれた場面でした。 施設に入ることで閉じる世界もあるかもしれない。 でも、逆に開く世界もあるのだと思います。
早めに施設を考えることには、体が動けるうちのメリットもあるのかもしれません
介護施設を考えるとき、どうしても「もう在宅では無理になってから」と思いがちです。 実際、私たち家族もそうでした。 ギリギリまで家で、何とかなるところまで在宅で、という気持ちが強かったです。
- 自分で食堂に行け、他の入居者さんと自然に交流できる
- 行事やレクリエーションに参加しやすい
- 施設内で友人関係ができる可能性が広がる
- 外出や散歩など、自分のペースで動ける場面が多い
- 施設の生活に慣れるまでの適応がしやすい
もちろん、早く入ればいいという単純な話ではありません。 家族の事情もありますし、本人の思いもありますし、費用の問題もあります。 それでも、「施設は最後の最後」と決めつけなくてもいいのかもしれない、と今は思っています。
まとめ
コクファンに面会に行ったとき、元気な入居者さん同士が待ち合わせをして、一緒に外出する場面を見かけました。 その光景を見て、施設の中にも人間関係があり、楽しみがあり、暮らしが広がっていくことがあるのだと気づきました。
義母は車椅子状態なので、今からそういうふうに外出を楽しむのは難しいかもしれません。 だからこそ、「もっと早く施設に入っていれば、義母にもそういう時間があったのかもしれない」と思う気持ちもあります。
施設に入ることには、家族として抵抗感や罪悪感がつきものです。 でも、入居することで広がる世界もある。 私はあの日の光景を見て、そのことをしみじみ感じました。
もし今、施設をどうするか迷っている方がいたら、「体が動けるうちに入ることの良さ」も、少しだけ頭の片隅に置いてみてほしいです。 施設は、ただ介護を受ける場所ではなく、新しい暮らしが始まる場所でもあるのかもしれません。