介護や高齢の親との暮らしについて考えるとき、私(みどり)の中にはいつも、 夫から聞いた夫の祖母の姿があります。 祖母は101歳まで生き、最後まであの4階建ての義実家で暮らしました。 その話を聞くたびに、私は介護とは何かを改めて考えさせられます。
5人家族と、祖母の暮らし
夫が小さい頃、家には祖母、義父、義母、姉、そして夫の5人が一緒に住んでいました。 今思えば、祖母があの家で暮らし続けられたのは、ただ元気だったからだけではなく、 義父が少しずつ住まいを高齢者向けに整えていたからだと夫は言っています。
昭和の古い家——バリアフリーとは程遠い造り
義実家の建物は、昭和に建てた古い家でした。 当時の建物ですから、今のようなバリアフリーの発想はほとんどありません。 室内にも細かな段差があり、風呂場やトイレまわりも、 高齢者がそのまま安全に使えるような造りではありませんでした。
義父がコツコツ続けていた、小さな工夫
そんな家の中で、義父はいろいろと工夫をしていました。
- トイレの近くに手すりを設置
- 風呂場のまわりにも手すりを追加
- 室内の床の小さな段差に三角形の板を取り付けてつまずき防止
- 階段の段の端にゴム状の滑り止めを装着
夫が子どもの頃はそれを特別なこととして見ていたわけではないと言います。 でも今振り返ると、あれは義父なりの介護であり、 祖母が家の中で少しでも安全に暮らせるようにするための工夫だったのだと思います。 大がかりなリフォームではなくても、危ない場所を一つずつ見つけて、 できる範囲で手を入れていく。そういう積み重ねが、 祖母の暮らしを支えていたのでしょう。
- トイレ・風呂・廊下への手すりの設置(工事不要タイプもあり)
- 室内の段差へのスロープや三角板の設置
- 階段の滑り止めテープ・ゴムの貼り付け
- 床マットのめくれ上がり防止(転倒の原因になりやすい)
- 夜間の足元灯(センサーライト)の設置
「家で看たかった」という気持ちと、現実の壁
そういう義父の姿を夫から聞いていたので、 私の中にもできれば義母も家で住まわせてあげたいという気持ちがありました。 住み慣れた家で過ごすことには、それだけの意味があります。 知らない施設や別の住まいに移るより、長く暮らしてきた家の方が落ち着くに決まっています。 できることなら、最後まで慣れた場所で生活してほしい。そういう思いはありました。
ただ一方で、義父の時代だからこそできたことではないか、 とも思います。義父は自営業でした。 家のことにも目を配りやすく、必要があればその都度対応しやすい立場だったのだと思います。 それに対して夫は、ずっと会社勤めの生活をしてきました。 毎日決まった時間に働き、職場に拘束される中で、 親を一緒に住まわせて日々支えるのは簡単ではありませんでした。
時代が違えば、できることも違う
そう考えると、「家で看るのが理想だ」と簡単には言えません。 確かに、夫の祖母は実家で最期まで暮らしました。 その姿は夫の中に強く残っています。 だからこそ、自分もそうしたいという気持ちが生まれるのは自然なことだと思います。 けれども、同じことをそのまま今の時代に当てはめられるかというと、そうではありません。
- 家族の働き方が違う(共働き・転勤・長時間労働)
- 住まいの造りが違う(マンション・集合住宅が増えた)
- 地域とのつながり方が違う(近所付き合いの希薄化)
- 介護を取り巻く制度・選択肢が大きく変わった
「家で看られなかった」ことへの後ろめたさに、どう向き合うか
私は、夫の祖母のことを思い出すたびに、少し複雑な気持ちになります。 義父のように、家を整えながら親を支えることができたらよかったのではないか。 もっと何かできたのではないか。そんな思いがないわけではありません。
でも同時に、それは義父がいた時代、義父の働き方、義父の生活条件の中で できたことであって、同じようにできなかったからといって 単純に比べられるものでもないとも思います。 時代が違えば、できることも違う。 家族の形が違えば、選ぶべき方法も違ってくる。 その現実は、やはり受け止めるしかありません。
家で看ることだけが、愛情ではない
住み慣れた家で過ごすことには大きな価値があります。 でも、家で暮らすことだけが愛情ではない。 施設やマンションへの住み替えを選ぶこともまた、 その人が少しでも安全に、少しでも安心して暮らせるように考えた結果であるはずです。
夫の祖母の暮らしを思い出すと、家で暮らすことの強さを感じます。 一方で、義父の時代と今の時代の違いを思うと、 介護のあり方は家庭の事情や社会の変化と切り離せないとも感じます。
家で看ることができた時代。それが難しくなってきた時代。 その間で揺れながら、それでも家族として何ができるかを考えていくしかないのだと思います。 この記事が、同じように揺れている方の気持ちに、少し寄り添えれば幸いです。